クリスマスツリー
クリスマスツリーはドイツで生まれたものです。クリスマスツリーらしきものが最初に出現したのは、アルザスのテュルクハイム村での事でした。ワイン生産者や商人達の組合がクリスマスに樅の木の枝を立て、その枝にリンゴや色とりどりの紙、リボンが飾られました。1597年、アルザスがドイツ領であったころです。1605年には、やはりアルザスのシュレット・シュタット村で樅の木を部屋に立てかけ、枝にビスケットやリンゴを吊るし飾った記録があり、数年後には枝に色紙で作ったバラの花や砂糖の塊、パンなども吊るされ飾られた記録がシュトラスブルグ都市の記録に記されてます。アルザスの北部プファルツ地方では、クリスマス用に様々な飾りが作られるようになりましたが、まだろうそくをともす習慣はありませんでした. 。
1708年フランスのオルレアン大公妃となりパリに移り住むようになった女性、プファルツ伯の令嬢であったハイデルベルグ出身のリーゼロッテは、ドイツに住むわが娘に、ドイツを懐かしむような手紙を書きました。「祭壇のようにしつらえたテーブルの上に、新しい衣装や銀細工、人形、砂糖菓子等、子供達への贈り物が用意される。ひと枝ごとに、ろうそくが1本づつとめてある、テーブルの上のつげの木は、なんともきれいな飾り付けで、私は今でもそれをみたいと思う」。
このようなツリーが飾られるまでは、樅の木など針葉樹の大枝を近所の森から切り取ったり、町に住む人々は紐でぐるぐる巻きにされた大きな枝を買ってきて、家の中につるしたり立て掛け、飾っていました。 寒い冬でも緑が青あおと繁る木の枝は、昔から生命の力の現れと言われ、古代ローマ人は月桂樹の葉を家の中に立てかけ、さまざまなお祝いのときに、災いを防ぐ風習がありました。
この木の枝が時代と共に2つのスタイルに分かれていきます。枝を丸めて木の棒にぶらさげた「ビューゲル ボイメ」、北の地方で良く使われたツリーまがいのものでした。
東ドイツのエルツ山地やテユーリンゲン地方では19世紀後半までツリーまがいの物を壁に吊るし、飾る習慣がありました。
これらが現在日本で人気のあるリースの原形なのかも知れません。それがテーブルにおかれアドベントクランツと呼ばれるようになり、4つのローソクを飾り、クリスマス前の4週目の日曜日から日曜が来るごとに1本づつローソクに火をともします。最後の1本はクリスマスの日に点され全部のローソクから淡い炎がともり、クリスマスを迎えます。
もう一方は、枝だけでなく1本の木を丸ごと運び、枝に小さなローソクやクッキー、人形などを飾り付け、各家庭さまざまな飾り付けがなされてきました。現在のようなスタイルのクリスマスツリーは比較的新しく、19世紀になってから一般に広まり始めました。